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【シングルマザー芸能人】田中律子さん

田中律子について

1971年7月17日生まれ、東京都世田谷区出身。女優タレント歌手である。本名同じ。ボックスコーポレーション所属。NPO法人アクアプラネット理事長。日本サップヨガ協会会長。沖縄デトックス協会会長。1984年、12歳の時に、東京都町田市の小田急百貨店でボックスコーポレーション勤務のマネジャーにスカウトされ、「田中理津子」名義で雑誌『週刊セブンティーン』(1984年10月23日号)にてモデルデビュー。2度目に同誌(1985年3月26日号)に登場した際から、「田中律子」名義となった。

1985年4月、テレビ朝日系列の音楽番組『鶴ちゃんのいちごチャンネル』のアシスタントとしてテレビデビュー。同年7月には連続ドラマ『ママ、大変だァ!』にレギュラー出演し、女優活動も開始。 その後、雑誌『投稿写真』でのグラビアやNHKテキストシオリ1987年のイメージガールなども務めた。その後、パウチッコのCMに出演し、CMを見ていたレコード会社関係者からスカウトされ、16歳高校2年生の時1988年(昭和63年)5月21日にフォーライフ・レコードより筒美京平プロデュースにより「FRIENDSHIP」でアイドル歌手としてもデビューした。

歌手としてはシングル11枚、アルバム5枚を発売。ポスト杏里として売り出されたが、ヒット曲は出なかった。同期歌手デビューはwink、西田ひかる、高岡早紀などがいる。当時、ニッポン放送で放送していたラジオ「関根勤のTOKYOベストヒット」では同期デビューのアシスタント仲村知夏との相性がよかった。第4弾シングル「また夏が来る・・・」は欧陽菲菲の「ラブ・イズ・オーバー」を書いた伊藤薫の手による楽曲である。また、ラストアルバム『ハート・ボイス』は本人のセルフプロデュース。その他藤原ヒロシなどが楽曲プロデュースをしている。

1989年(平成元年)、テレビの連続ドラマ『愛しあってるかい!』(フジテレビ)への出演をきっかけにテレビドラマに多数出演するようになった。活動は女優業が中心となったが、その傍らバラエティー番組の司会や音楽活動も1990年代前半までおこなった。1997年(平成9年)には妊娠と結婚を発表、同年年末まではテレビ番組『'98新春ドラマスペシャル 味いちもんめ』(テレビ朝日)の撮影や、レギュラー出演していたバラエティー番組『王様のブランチ』(TBS)を続けた後、翌1998年(平成10年)3月末をもって芸能活動を休止(産休)した。

女児を出産した田中は、同年中にテレビ出演を再開した。2007年(平成19年)、FILM FACTORYで監督業に進出。また、テレビの連続ドラマ『こどもの事情』(TBS)では、初めて連続ドラマに主演している。2015年(平成27年)ウルトラ・ヴァイヴレーベルより歌手時代の全シングル音源を収録したベスト盤CD『FRIENDSHIP コンプリート・シングルス』を発売した。

田中は1997年(平成9年)、妊娠4ヶ月であることを発表、相手であるカメラマンの杉本学と結婚し、翌年に女児を出産した。2012年2月に離婚。15年の結婚生活にピリオドを打った。

子供の数

1人

シングルマザーになった時期

2012年

芸能人以外にやっている仕事

副業をしている芸能人は、健康志向の方が多いのか田中さんもサップヨガというヨガのインストラクターを行っています。その他には、NPO法人アクアプラネットの理事長もしていて、自然環境保護に力を注いでいらっしゃいます(http://www.aqua-planet.org/

15年もの結婚生活にピリオドを打った田中さんですが、シングルマザーとしてだけでなく、一人の女性としてきちんとご自身が輝いて活動なさることで、お嬢様にもいい影響を与えているのかもしれませんね。


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